ヤマハの秘密に迫る!次回のカンブリア宮殿の見どころは?


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こんにちは!スキマ時間の案内人、ふじおかです。
皆さんにもお馴染みのTV東京の番組「カンブリア宮殿」ですが、
私もこの番組が大好きです。
世の中には、星の数ほどの企業があるし
同じ数だけ社長がいて、創業者がいます。
もちろん、やっている事は様々ですが、それぞれ理念を持っています。
そしてそこにはドラマがあります。

次回のカンブリア宮殿で取り上げられる企業は、日本に知らない者はいないと言ってもいいでしょう
あの「ヤマハ株式会社」です。
今日は、番組をさらに楽しむために、ヤマハ株式会社について取り上げてみます。

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ヤマハ株式会社ってどんな会社?

ヤマハと聞いて、最初に思いつくのはやはり「楽器」でしょうか。
私の故郷にも「ヤマハ音楽教室」があったし、友達の家にもヤマハのピアノがありました。

あるいは、バイクでしょうか。
V-MAXなんてのは、男にとっては永遠の憧れです。
デザインは超人気で、なんと発売から20年以上モデルチェンジされなかったほどです。
私はバイクの免許は持っていませんが、もし取る事があったらアレに乗りたいと思っています。

実は、ヤマハのやっている事業はものすごく広いです。
バイクを造っているのは正式には「ヤマハ発動機」と言う会社ですが、
自転車から、ヘリコプター、大きいものだとプールや、果ては海に架かる桟橋まで造っています。
親会社のヤマハは音楽業界に特化していますが、
音楽に関するもので、ヤマハが造っていないモノは無い、と言われるくらいの総合メーカーです。
その他にもゴルフ用品や、今は造っていませんが、バドミントンラケットなんかもやっていた事があります。
ヤマハトラベルなんていう旅行代理店なんかもあります。

どうしてこんなに幅広くやっているのでしょうか?
それは、ヤマハと言う会社の企業精神にあります。

ヤマハの創業者ってどんな人?

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ヤマハの創業者「山葉寅楠」は1851年、現在の和歌山市に生まれました。
紀州藩で天文係をやっていた父の影響で機械いじりが得意であったというし、
剣術の方もなかなかの腕だったと言われています。

二十歳の時に時計の修繕法を学び、
その後は医療機具から時計修理まで、機械の修理を幅広く請け負っていました。
そして、1887年に浜松尋常小学校で輸入品のオルガンの修理をしたのをきっかけに
オルガンを造るようになります。

しかし、日本製第一号となったこのオルガンは
意外にも、不評だったようです。
そこで山葉は、重いオルガンをなんとか東京の音楽取調所(今の東京芸大)に運び、
「調律に問題があった」ことを突き止めました。

当時は今のように鉄道も発達しておらず、
山葉は東京までの250キロを、天秤棒でオルガンを担いで運んでいます。
いやはや、物凄い執念です。

そして1ヵ月の間、音楽取調所で音楽を学び、第2号を造り上げました。
こうして、日本のオルガンの歴史は始まったのです。

ヤマハの企業精神とは?

創業者の山葉寅楠の話でも分かるように、
ヤマハにはチャレンジ精神があり、「好きなものを何とか世に出そう」という社員が大勢います。
それは長年培ってきたヤマハという企業の魂そのものですが、実は会社のある浜松の土地柄にもあります。

ヤマハの現社長の中田卓也氏は、インタビューで次のように語っています。

「一般的には『やらまいか(やってみよう)精神』ということになるが、その根底には土地柄がある。旧浜松藩は5万石程度の小藩で、藩主も頻繁に交代した。安定しないがゆえに『自分たちがしっかりしなければ生きていけない』という気持ちが強く、それが『やらまいか精神』を形作ったのではないか」

引用元:産経ニュース

そう、なんでも自分でやってやる!という精神こそ、ヤマハの神髄なのです。
この精神が、今のヤマハの幅広い事業を支える土台となっているのでしょう。

次回のカンブリア宮殿が楽しみです♪

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